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NewYork紀行記 2005

  • kunihirogurume
  • 2017年5月16日
  • 読了時間: 8分

更新日:3月25日

◆ニューヨーク<1>UA800便-anchorage上空。


「………beef or chiken?」の声で目が覚めた。


「Chiken.」と答えた。


私が眠っていたのに気が付かなかったのかな?


今、ニューヨークに向かっている飛行機の中。15年ぶりのニューヨーク。この間にNewYorkも随分変わったようだ。近代美術館もできた。ツインタワーが無くなった。食品がおいしくなったようだ。最近ではニューヨーク発信の食べ物が随分と増えているような気がする。オールドファッションステーキ、デリカ、高級スーパーマーケットに食肉市場、、、。いろいろな方から情報をたくさん頂いて「ニューヨークを見に行く。」



ニューヨークで8年暮らしていた方のお話を伺った。


「ニューヨークはアメリカにあるけど、アメリカではないから、、、。」


「くさやを焼いていた私の隣の部屋ではキムチを漬けていた。逆ののお隣さんは、ガラムマサラの香りだった。向かいのビルからは、オリーブオイルとガー リックの香りがあふれていて、その階上からは24時間絶えず大音量でJAZZが流れてきていた。」


ここ数年ニューヨークのことが気になっていた。


ここ数ヶ月、ニューヨークの話題が周りにたくさん流れていた。この機会に、「ニューヨークを見に行く。」



◆ニューヨーク<2>”MOVIN OUT”


ニューヨーク・ケネディー空港に到着。


あやしい白タクの勧誘を振り切ってマンハッタンに入った。


ホテルに荷物を置いて早速、街に出た。


まずは、ミュージカルのディスカウントチケットの情報を収集。


目当てのミュージカル「movin out」が50%OFF。


迷わず今晩のチケットを手に入れた。



ミュージカルの開場まで、プラプラと散歩していたら地下鉄の駅で3つ分ほど歩いてしまった。また、歩き旅がはじまった。地下鉄でミュージカルホールに向かった。既に行列ができたいた。



ビリージョエル大ファンの私。そのビリージョエルの曲のみを使っての、アメリカの70年代の若者たちのストーリー。


ロックンロールとパーティー、恋愛とベトナム戦争。セリフがほとんど無いミュージカルでわかりやすく、大好きな曲ばかりが流れあっという間にフィナーレ。


最後はスタンディングオベーション。涙がにじむほど感動した。


マンハッタンで最初の朝を迎えた。


まずは、「Grand ZERO」へ向かった。大きな大きな工事現場がぽっかりと穴を開けていた。


大勢の観光客がアメリカ中から、世界中からやってきていた。犠牲者の追悼のため、2度と繰り返さないため、忘れないためのモニュメントや掲示 物に人々が目をむけ、カメラを向けていた。


隣の教会には、世界中から届いたお見舞いと追悼のたよりが展示されていた。



ニューヨーク<3>ダウンタウン-南-


グランドゼロから足をウォール街に進めた、mangiaというカフェで朝食をとる。洗練された広い店内は高級かつシンプル。現在ではニューヨークデリの最高峰と言えよう。そのすてきなメニューとサービスに心地よく包まれながら今日の予定を再確認。観光客の群れから離れ裏道を使い、マンハッタン



最南端のバッテリーパークへ。ここからは自由の女神が望める。自由の女神の立つリバティー島へのフェリィーもここからでている。天気に恵まれ朝日に輝くミスリバティを後に、地下鉄でマンハッタンの台所。ミートマー ケット(食肉卸市場)へ急ぐ。


朝の賑わいはすでに落ち着いていた。日本の食肉業界がアメリカをお手本にしたせいか日本の食肉市場ととても良く似ている。以前は、食肉卸業者が軒を連ねていたのだろうと思われるテナントは、ほとんどがブティックになっていた。そこで、3匹の豚がお店をのぞいているディスプレイを見つけた。



 隣にあるチェルシーマーケットも昔は肉屋さん街だったのかなと思われるが今では、自家製のパンを焼くカフェ、自家製のデリカの仕込みで忙しいカフェが並ぶ。ランチに忙しいカフェが行列を作り始めてい た。自家製デリのお店はどこも混んでいる。さすがニューヨーカー旨いものをねらっている。


つづく


ニューヨーク<4>ダウンタウン-SOHO-


昔は、若手の芸術家が集まって若いアートが盛んだったSOHOへ向かいながら散策。


 ニューヨーク大学を抜けて、有名なJAZZクラブ「ブルーノート」を発見、学生街として映画や本にでてくるブリーカー通りを渡ってsohoについた。




私が愛用しているアップルコンピューターのストアを発見。


ここでは、コンピューター、 周辺機器の販売の他に多岐にわたる情報の提供をしている。何か、ニューヨーク店オリジナルの小物でもあればと思ったが、販売商品は東京とほとんど一緒。 さすがにすごいなと思いながら少々残念。


ニューヨークデリの探検は更に続く。


SOHOにあるフードショップ「ディーンデルカ」ここは圧巻。店に入るや否や目も心も吸い込まれた。メインの総菜デリカはもちろん、スィート、パン、お茶にコーヒー、フルーツに野菜、オイル、ハーブに魚介類に魚介の加工品、肉とハムソーセージ、パ テ、キッチン道具からお料理の本、いずれも各コーナーしっかりとしている。


私の中のニューヨークの食の意識が一気に変わる。



(店長さんから3枚だけ撮影許可をいただきました。)


更にSOHOを散策するが、15年前に訪ねた頃のような若いアーティストのギャラリーはほとんど無く高級ブランド店と高級ブティックが軒を連ねるように様変わりしていた。


元々倉庫街だったこの地は、SOHO`s Loftと言って倉庫を改造して造られたギャラリーが沢山あって楽しかった街っだのだが、街の人気とともに家賃が高騰して今の街に変化していったのだろう。更に歩く。隣はリトルイタリィ、その隣には巨大な中華街がある。


つづく



ニューヨーク<5>ダウンタウン-リトルイタリィ/リトルチャイナ-


更に歩く。隣はリトルイタリィ、その隣には巨大な中華街がある。リトルイタリィは、年に1度のお祭りだった。幸か不幸か、お祭りはイタリアの情緒は味わえず、アメリカンなお祭りに染まっていた。


アメリカのバーベキューは豪快だ。中華街は世界中どこも元気だがニューヨークの中華街は凄い。パリ、ロンドン、ミュンヘン、ミラノ、横浜、神戸、長崎と数々の中華街のなかでもずば抜けて凄いパワーだ。


夢中になって歩いていたら夕方になっていた。マンハッタンの南をほぼ1周あるいている。急に疲れを覚え、カフェで小休止。今晩の予定を考えることにした。アメリカもビールが旨い。


ホテルに戻って荷物を置いて仕切り直すか?このままマンハッタンの外に出て摩天楼の夜景を外から眺めるか?足の疲れもあったがあこがれのブルックリン橋を渡って摩天楼を眺めることにした。


「いざブルックリンへ。」と地下鉄に乗った。駅を2,3過ぎた頃、乗り間違いに気が付いた。乗っている地下鉄は反対方向のホテルの方へ向かっていた。トホッ。少々気抜けしたものの気持ちを切り替えてホテルに荷物を置いて仕切り直しに変更。


ホテルに向かう途中、ミュージカルのディスカウントチケットセンターを覗いたが目当てのものは無かった。ホテルに着いて午後6時。辺りはまだ明るい。ここで今日を終わらす分けにはいかない。では、ヤンキースタジアムに行ってみよう。先ほど地下鉄にヤンキースコスチュームの人たちが大勢いた。


ニューヨーク<6>ヤンキースタジアム-1では、ヤンキースタジアムに行ってみよう。


先ほど地下鉄にヤンキースコスチュームの人たちが大勢いた。野球はほとんど知らないけれど、松井のいるヤンキースが優勝争いをしているのは日本でもニュースに流れていた。今日もヤンキースのゲームがあるらしい。 チケットがあるかどうかわからないがとにかくスタジアムに向かった。Tシャツをグレー&ネイビーのものに着替えて(ヤンキースとは全く関係ないプリントだがコスチュームも気持ちのうち。)アバウトな情報だが地下鉄に乗っ た。ホームに数人ヤンキースファンがいた。間違いない今日はゲームがある。この人たちに付いていけばスタジアムに連れて行ってくれるはず。ホームに入ってきた地下鉄


に乗ったら、止まらない。急行かなにかのようだ、車 内を見渡すとヤンキースファンがいない。また、間違えた!路線図を見るとまだ間に合う。次の駅で乗り換えた。なんと車内の半分以上がヤンキース。間違いない。当日券売り場に並ぶと外野の後ろの方の席が買えた。


さぁ、1晩のヤンキースファン気分も上昇してきた。ゲームが始まっているかどうかわからないが、ついでに、SPORTS BARでヤンキースファン見物。かなり盛り上がっている。ビールを1本もらってヤンキースBARを楽しんだ。


みんなでテレビの試合をみていた。っえ!ゲーム が始まっている。1回裏。スタジアムに向かったら、まだ入り口が混んでいる。やっとゲートに入ったら、「without your bag from here.Go OUT!」


スタジアムに鞄を持ち込んではいけない。とのこと。!!!ほかにもそんな人がいて付いていくと鞄を預けるところがあった。良かった!鞄を預けてスタジアムへ。にわかファンは大変だぁ。


高い所の席を探すと私の席に誰か座っている。訪ねたら怒られた。ヤンキースのチャンスの最中だった。近くのお姉さんが開いてる席に座るように促してくれてビールも買っていよいよ応援開始。


松井のヒットに日本人の私に「Good MATSUI]と握手を求められる、みんな楽しそうだ。そう言えば、イタリアでは「中田」と呼ばれた。


私と同じ歳のランディーンジョンソンという長身のピッチャーががんばっている。ゲームも好調。5回終了後パフォーマンスやスタジアムあげての応援に気持 ちよく遊んでいた。外野席は玄人ファンが多い。目の前のおじさんのヤンキースキャップは、手あかで真っ黒になっているが、日に色あせている。そのヤンキ ースキャップのおじさんが辺りの人たちを取り込みウエーブを始めた、最初の数回は途中で止まってしまったウエーブだが6回目あたりでなんとかスタジアム を1周した。帰ってくるウエーブに応えてキャップのおじさんが始めたウエーブがなんと10周ちかく廻った。おじさんはヒーローになっていた。アメリカだ。気が付くとみんな仲良しなっていた。旅行者の私に、「Matsui,Good!」とビールまでごちそうしてくれた。楽しい一夜のヤンキースファンだった。

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